地の塩25号メッセージ~日常への挑戦~ 長文失礼

日常への挑戦

  今年も11月を迎えました。高校2年生としても折り返し地点を回ったことになります。そして、みなさんの高校生活も半ばを過ぎたということになります。早いものです。

  

  さて、日本の文化において「ハレ」・「ケ」という考え方があります。日常とはちがう正式な日、公の日を「ハレ」(晴)、日常の生活をする普段の日を「ケ」(褻)といいます。「ハレ」はもともと農耕にまつわる年中行事や神に供物をささげる神聖な日のことで、現在も晴れ着、ハレの日などとして使われています。

  

  9月~10月は、実力テスト-愛校祭‐中間テスト‐進路を考える日‐進研模試など、行事やテストが慌ただしく続きました。いわば「ハレ」が連続したようなものでしょうか。それに対して11月は行事も少なく、週日課‐授業‐部活動と日常生活が続いていく=「ケ」が続くということがいえるでしょう。

  

  「ハレ」が「ハレ」たる理由は、「ケ」という、単調で刺激が少なく、ともすれば手を抜いてしまいがちな日常を辛抱強く、質を高く、そして1日も休むことなく繰り返す状態があるからでしょう。「ケ」が、サボってばかりで質が低い状態であったならば、神に対して心の底からの感謝と盛大さを持った「ハレ」を迎えることはできなかったはずです。

  

  みなさんの高校生活に置き換えてみましょう。目標や夢を達成できるかどうかの大勝負(入試や公式戦など)を「ハレ」の舞台とするならば、そのハレ舞台で、1点差でも、0.001秒差でも、勝つか(合格するか)、涙を飲むか…は、「ケ」=日常の学習や練習、友人との交わりに汗をかき続けることができたかどうかに大きく左右されるでしょう。つまり、日常において最高の過程を積み重ねることができたかということに関わるということだと考えます。

  

  題を「日常への挑戦」としました。高校生活残り半分。みなさんが大きな勝負の時を迎えるまでの日常をもう一度見直してみる良い時期ではないでしょうか。私はHRや部活動で、日常における大前提の基本として、

  ①目の前のことをしっかりと取り組むことを忘れずに。

  ②何事も主体は自分

  ③頑張り続けること、挑戦し続けることに価値がある。失敗をおそれないように

  ④毎日最高の過程を積み重ねていくことが大切

と言い続けています。

  

  特に④について。そもそも現実(勝負)は厳しいものです。目標が達成できるかどうかなんて、今は誰にもわかりません。本来、挑戦とはそういうものです。だからといって、諦めてしまっては、永久に目標は達成されませんし、そこに成長はありません。結果がわからないことに挑戦しているのであるからこそ、毎日最高の過程を積み重ねていくことが大切ということです。

  

  また、最高の過程を積み重ねていくことで、はじめて結果がついてくる可能性が高まっていくはずですし、最高の過程を積み重ねることでしか決して実感することができない「意地」と「プライド」が生まれるはずです。勝負事において、最後は「気持ちの問題」の部分が大きく勝敗を左右します。その最後の場面で、「意地」と「プライド」を持つことができていれば、強い気持ちで物事に挑戦できるはずです。

  

  要は、みなさんの一人ひとりが、自分に、そして、名古屋高等学校というチームに対して「意地」と「プライド」を持つことができるまでの「最高の過程」を積み重ねることができるか(私にとっては積ませてあげることができるか)。

  

  つまり「日常への挑戦」です。

  

  日常生活を今一度見直してみてはいかがでしょうか。

  

  ハレの舞台、「俺ら名高ぜ」という「意地」と「プライド」を持てるように!

  

  

  鬚

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