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「Basic」って何?(2)

「システム英語長文」がおかしいという話をしています。前回は、2Schools in the United Statesの英文の難度が高いにもかかわらずBasicに分類されているのが変だという話でした。今回は、訳語が変だという話です。全般的に変なのですが、先ずは第2段落の最終文の和訳を見てみましょう。
The underlying goal of American education is to develop every child to the utmost of his or her own abilities, however great or small there may be, and to give each one a sense of civic and community consciousness.
アメリカの教育の基礎となる目標は、すべての子供の能力がどれほど高くても、あるいはどれほど低くても、その能力を最大限まで伸ばすことと、それぞれに市民と地域社会の自覚を持たせることである。
「市民意識=civic consciousness」はcitizen awarenessともcivil consciousnessとも表現できます。ま、「市民の自覚」でもいいでしょう。でも、次のcommunity consciousnessは「連帯感」とか「一体感」です。これを「地域社会の自覚」とやってしまうと全くの誤訳です。それは次の段落を読めば分かります。
Because there is no national religion and because there are so many different backgrounds and origins among the people, schools have traditionally played an important role in creating national unity and “Americanizing” the millions of immigrants who have poured into this country.  Schools still play a large role in the community, especially in small towns.
信奉する宗教は様々なので、また経歴や出自も様々なので、国民の結束を固め、この国に押し寄せてきた多くの移民たちを「アメリカ化」するという点で、教育は昔から重要な役割を果たしてきた。学校は地域社会、特に小さな町では今でもなお大きな役割を果たしている(この和訳は僕がやりました)
ここで言う「地域社会」というのは、移民たちが同じ民族で固まって作る同質化した社会のことを言ってます。教育の根本的な目標は、そんな民族色の強い地域社会をアメリカ化して、アメリカ人としての一体感を深めることだと言ってます。だから、community consciousnessを「地域社会の自覚」と訳しては全然ダメです!ちゃんと「アメリカ人としての一体感」と和訳しないといけません。
まさかとは思うのですが、この変な訳語を見ているとa sense of civic and community consciousnessがa sense of civic consciousness and a sense of community consciousnessの共通項を省略して出来上がっている共通構文だということが分かってないのでしょうかね?

「Basic」って何?

世に出回っている問題集はレベルに応じて分冊化され、シリーズになってるものが多いですよね。よく見るのが「Basic」、「Standard」、「Advance」の3分冊。でも、大体の問題集がレベル分けに失敗しています。特に、基礎レベルと銘打ったものはどれもダメですね。
学校で「システム英単語」を使っているので、その姉妹本の「システム英語長文」というのを業者が1セット見本として持ってきました。その中の「Basic」をパラパラと眺めていて、これはダメだと思いました。
先ず、「Basic」に分類されてる基準が英文ではなくて出題大学になってます。ま、これは駿台文庫に限らず他の出版社もそうなのですがね。結構な難易度の英文も「Basic」に分類されています。偏差値が低い大学が出題しているので、設問のレベルは確かに「Basic」です。でも、英文はメチャ難しい。「Basic」を選ぶ子は、設問の難易度ではなくて英文の難易度が低いことを期待しています。ですから、こんな本を使っても英語ができるようにはなりません。
例えば、「システム英語長文1Basic 2Schools in the United States」の第4段落冒頭文です。こんな具合です。
The American approach to teaching may seem unfamiliar to many, not only because it is informal, but also because there is less emphasis on learning fact than is true in the systems of many other countries.
比較の文では2つ(1対1、1対多、多対1、多対多も結局2分割法)が対比・対照されるわけですから、当然2度目の省略が起こります。上の英文のthan以下に何が省略されているか分かりますか?
~there is less emphasis on learning fact than [the emphasis on learning facts that] is true in the systems of many other countries.
than直前の名詞が先行詞ですから、the emphasis on learning facts が省略されていることは想像がつきます。でも、どうやってisとつながるのかが分からないはずです。実は関係代名詞that省略されています。つまり、疑似関係代名詞のthanと普通の関係代名詞のthatがダブルで使われているわけです。この英文を説明できる先生はいるのでしょうかね?
「システム英語構文」は構文の問題集ですから、語句や表現だけでなく構文に関しても詳細な説明がついています。なのに、なぜここで使ってる比較構文の説明が一切ないのでしょうか?不思議で仕方がありません。
和訳も間違っています。これについては次回のお楽しみです。

日本の劣化④ もう民間業者に全部任せては?

前回は赤本の解答が間違っている話をしました。今回は国立大学の推薦入試の英語が間違っている話をします。平成31年度、香川大学ナーシング・プロフェッショナル育成入試の小論文Ⅰの第1段落です。ちょっと長くなりますが引用しておきます。
If you ask who are the leaders in nursing education, most will name those who hold an appointed or elected leadership position, such as a department chair, or an officer in student government or professional association. Instead, I focus here on the opportunity for nurse educators to give in every student not only the knowledge and skill to be a competent practitioner*, but also the qualities and commitment to be an “everyday leader.”
あ、これは英語のミスではないのですが、competent practitionerに「有能な実践家」という注が付いています。最近では研究者の考えるリーダーシップと実践家の考えるリーダーシップを区別して論じるのが流行(はやり)で、「リーダーシップ実践家」と言うと「実際に優れたリーダーシップを実地で発揮している人」の意味で使われます。でも、一般に言う「実践家」は「研究者」と対比して使い、机上の空論を弄ぶのではなく「その道でプロとして活躍する人」くらいの意味で使います。ですから、practitionerに「有能な実践家」と言う注をつけると、「リーダーシップ実践家」のことを言っているように聞こえます。そのことを頭に入れておいてください。
さて、問題文にあるミスの話をしましょう。giveは第3文型でも第4文型でも使えます。こんな具合です。
彼は私に本をくれた。
He gave a book to me.(第3文型)
He gave me a book.(第4文型)
問題文では「ことシリーズ」for me to goの形を使ってfor nurse educators to give~となっていますね。そこで、問題文をI goという普通の文に書き換えるとこうなります。
看護教育に携わる者は、子供たち一人一人に、有能な看護師になるための知識や技術だけでなく、everyday leaderになるための資質や責任についても教えます。
Nurse educators give to every student not only the knowledge and skill to be a competent practitioner, but also the qualities and commitment to be an “everyday leader.”
普通なら 「give 何を+to誰に」になることろですが、問題文は「何を」が長いので後ろに回って「give to誰に+何を」になってます。英語は長いものは後ろに回せ!でしたね。でも、明らかにinではなくてtoでないといけません。
さて、ここで対置されているnot only A but also BのAとBに注目しましょう。看護学校の先生が教えるのはAだけでなくBだ!と言ってます。つまり、有能な看護師になるための知識や技術だけでなく、日々の看護の仕事をやるなかでリーダーとなるための資質や責任も教えなさい!と言ってるわけです。
では、最初のpractitionerに戻りましょう。これまでの文脈からこれを「有能な実践家」とするのは誤訳だということが分かります。ここはちゃんと「有能な看護師」と訳さないといけません。
香川大の作問委員の先生たちは英語を知らないし、書いてある英語も読めていないですね。9月3日付けの朝日新聞に、私立大が一般入試を民間業者に委託する話が載ってます。国立大も香川大のように間違った問題しか作れないのなら、共通テストだけでなく2次試験の問題も業者委託する方が良いと思います。

リアル教室のごあんない

日本の劣化③。いい加減にしてください!

赤本の全訳は前から酷いなあと思っていたのですが、さすがに解答が間違っていることは今までありませんでした。でも、これは解答が間違っています!2015年度の島根大、大問1の第5段落です。設問4の和訳がここに設定されています。こんな具体です。
Of course, the American Dream sounds good and for some people it works, especially as a type of positive thinking.  But it can be a burden too.  I remember one friend saying he hated being told he could do anything when he was growing up.  He didn’t want to be a doctor or the President and being pushed to do something special made him feel guilty for wanting a more ordinary life.  After all, some people are happier on the well-worn path.
次に、赤本の全訳を引用します。
もちろん、アメリカの夢は心地よい響きがするし、とりわけある種の前向き思考として、それが機能する人もいる。しかし、それは負担にもなり得る。私は1人の友人が、成長していくうちに何でもできると言われるなんて嫌なことだと言ったのを覚えている。彼は医者にも、大統領にもなりたくなかったし、何か特別なことをするように強いられるせいで、彼はもっと普通の人生を望むのに罪悪感を抱くようになった。なんと言っても、踏み固めた道を通る方がうれしい人はいるのだから。
先ず、the American Dreamを「アメリカの夢」と訳す子はお爺さんがお婆さんでしょうから、日本語が揺らいでいるのは仕方がありません。言い換えると、ごまかすのが上手。次に、especially as a type of positive thinkingの訳語が間違っています。このasは「~として」の意味の「資格のas」ではありません。この英文には省略があって、especially for the people who think of the American Dream as a type of positive thinkingが省略なしの英文です。つまり、このasは「様態のas」です。ま、赤本ではこんなミスは日常茶飯事ですから、とりたててこのことを責めるつもりはありません。赤本のレベルはこんなものです。
でも、問題化されている部分を間違ってしまったら、赤本の存在理由が疑われます。大体、「成長していくうちに何でもできると言われる」という日本語は常識で考えても変ですよね。普通なら、成長していくうちにどんどんできないことが増えてゆくはずですから。ここら辺がジジイ、ババアらしい大様(おおよう)さでしょう。言い換えると、天国が近いと何でもアリアリなわけです。
これはhe hated being told he could do anything when he was a kidと言い換えられます。つまり、「子供の頃、何にでもなれるんだと言われるのが嫌いだった」と言ってるわけです。これなら意味が通ります。
こういうよく分からない和訳を付けられると、子供たちは混乱します。こんな訳語のせいで英語が分からなくなるのです。あ、僕がそうでしたから確信を持って言えます。本当にいい加減にして欲しいものです。

卒業生さんからの質問

<質問>
現在、河合塾で一浪してる名高卒生です。夏休み終盤は授業数も少なく講師が中々いないので質問できず、ここで質問させてください。長文の1文に疑問点があったので抜粋しました。
Some refused to cooperate and the debate about the subject so dominated the workplace and the airwaves that everyone agreed that no safety benefit was gained.
協力を拒む者もいたし、その問題に関する議論が仕事場や交信の場を支配してしまい、安全性の面での恩恵が全く得られないことを誰もが認めることとなった。
という1文の中にso that構文があると思うのですが、soがかかってるのはdominatedなんですか?soがかかるのは原則、形容詞か副詞とVintageには書いてありました。ここのdominatedは主節の動詞の過去形だと思います。例外として動詞にかかる場合があるのですか?また、その場合も教えて欲しいです。突然、申し訳ありません。
<回答>
卒業生さん!名古屋高校はミッションスクールなので聖書を使って質問にお答えします。ヨハネによる福音書3章16節に有名な聖句があります。
神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された。
God so loved the world that he gave his only son.
ここにもso – that構文が使われています。そして、soが飾っているのはlovedという動詞です。つまり、soは形容詞や副詞だけでなく動詞にもかかるということです。もちろんこの聖句を次の様に書き換えることができます。
神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された。
God loved the world so much that he gave his only son.
こうすると、副詞muchにかかります。どちらも正しい英語なのですが、so loved の方が知的な表現だとリンダは言ってます。夏休みくらいからモチベーションを保つのがしんどくなります。後半戦も頑張ってくださいね!

日本の劣化②

今、僕が面倒をみてる子の中に医学部を目指している子が何人かいます。そこで、6月から医療関係の英文記事を集めているのですが、8月20日付けのThe Japan Timesの記事を見てビックリしました!4面のinsightsに掲載されているMedical interpreting industry overwhelmed by tourismという記事がそれです。普通、新聞記事は何度も校正するので、内容はともかくとして、英語にミスはありません。でも、この記事は酷いものです。ちょっと引用します。
As a result, Takashi Sawada, a physician who heads the Minatomachi Medical Center in Yokohama, worries that revising the interpretation system in this manner may eventually open up a wide health care gap between and well-heeled travelers and residents no longer able to afford treatment.
ね!どう見てもこの and は不要です。こんなミスは一読すればすぐに分かります。最近の新聞記事は誰も読み返さないのでしょうか?

 

英語学学さんからの質問⑬

<質問>
⊿彼女が可愛くないのは、妹が可愛くないのと同じだ。
She is no more beautiful than her younger sister.
クジラ構文で、省略されているのは何でしょうか?「妹が可愛くない」ですから、
She is no more beautiful than her younger sister [is not beautiful].
が省略されていると思います。でも、ここを見るとnotは付いていません。

<回答>
いわゆるクジラ構文の質問ですね!先ず、この例文の訳語が良くないです、ごめんなさい。女性に対して「可愛くない」なんて普通は言わないですからね!分かり易さを優先して、極端な例を挙げてしまうのが薮下の悪いクセです。
no moreは文字通り「勝ってはいない」、「以上ではない」です。そしてno lessは「劣ってはいない」、「以下ではない」と言ってます。つまり、ただ単に「同じだ!」と言いたいだけなのです。ですから、こうなります。
彼女が美しいのは、彼女の妹が美しいのと比べて勝っていません
She is no more beautiful than her sister is beautiful.
彼女が美しいのは、彼女の妹が美しいのと比べて劣ってはいません
She is no less beautiful than her sister is beautiful.
だから、than以下の省略は両方ともis beautifulです。基準になっているのは妹の美しさです。それと比較して彼女の美しさは劣ることはないし、勝ることもないと言いたいわけです。決して「可愛くない」わけではありません。クジラの構文を見てみましょう。
馬が魚だと言うのに比べて、クジラが魚だと言うのはバカさ加減で勝っていない
A whale is no more a fish than a horse is a fish.
これを「クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ」と訳すから、「魚でない」だからis not a fishにならないといけないと思うわけです。基準になっているのは「馬が魚だ」と言うことの愚かさです。それを基準に考えると「クジラが魚だ」と言うのは愚かさで勝ってはいない、と言ってるわけです。大切なのは、than以下の基準は誰が考えても「あ、そうだよね!」と分かるのもでないと、このクジラ構文は成り立たないのです。だから、最初に言ったように、「彼女が美しくないのは、妹が美しくないのと同じだ」なんて例文は使うべきではありません。ごめんなさい!

リアル教室のごあんない

英語学学さんからの質問⑫の6

I earned much money this month.
I lost much of the money on the pachinko machine.
Many people love music.
Many of the people who live in Nagoya have Toyotas.
We have little money left.
He knows little of the world.
muchもmanyもlittleも、上は形容詞、下は名詞として使っています。上は一般的に全体から見た数量、下は特定のグループ中の数量を表現していました。でも、noneはこれとはちょっと違いました。こんな具合です。
“Are there any people around you?” “No, there are none.”
“Are there any friends of yours at the party?” “No, none of my friends are at the party.”
全体のnoneも特定のnone of my friendsも両方との名詞です。これはどうしてかというと、元々noneは「no+名詞」の代用だからです。noは「ゼロの~」の意味の形容詞です。こんな具合です。
“No, there are none.”
=”No, there are no people.”
none は人だけではなくモノにも使えます。こんな具合です。
Are there any books around you?  No, there are none [=no books].
さて、これと同じ「no+名詞」で、no oneというのがあります。
⊿誰もそのバーティーに来なかった
No one came to the party.
oneは代名詞で「1つのもの」、「1人の人」ですから、人にもモノにも使えるはずです。でも、no oneは「誰もいない」の意味で人にしか使いません。そして、no oneは広く全体から見て「誰もいない」の表現ですから、これを特定のグループの中の数量を表現するのに使ってはいけません。こんな具合です。
⊿僕の友だちの誰1人としてそのパーティーには来なかった。
No one of my friends came to the party.(×)
None of my friends came to the party.(◎)
英語学学さんからの質問⑫への回答は以上です!

英語学学さんからの質問⑫の5

「周りにだれか人はいますか?」「いいえ、だれもいません」
“Are there any people around you?”・ “No, there are none.”
「会場にあなたの友だちはいますか?」「いいえ、周りに友だちはだれもいません」
“Are there any friends of yours at the party?” “No, none of my friends are at the party.”
さて、2つの例文を比べてみましょう。上の方はnoneが単独で使われています。一方、下はnone of the 名詞sの形が特徴です。同じnoneでも使い方が違うわけです。どこが違うのかというと、上の方はただ周りに「誰もいない」と言ってるのに対して、下の方はパーティー会場に友人の中でここに来てる子は「誰もいない」と言ってます。言い換えると、上は広く全体から見て「誰もいない」と言ってるのに対して、下は特定の友だちというグループの中で来てるのは「誰もいない」と言ってます。上は文字通り誰もいないのに対して、下はパーティー会場に人はいるのだけど友人は「誰もいない」わけです。別の例をいくつか見てみましょう。
僕は今月たくさん金を稼いだ。
I earned much money this month.
その金の多くはパチンコで負けてしまった。
I lost much of the money on the pachinko machine.
上のmuchは形容詞で、moneyを飾ってます。下のmuchはA of Bで使われていますから名詞です。AもBもA of B全体も全て名詞でしたね。
人はみんな音楽が好き。
Many people love music.
名古屋に住む人の多くはトヨタ車に乗っている。
Many of the people who live in Nagoya have Toyotas.
これもやっぱり上のmanyはpeopleを飾ってる形容詞で、下のmanyは名詞です。
お金がほとんど残っていない。
We have little money left.
彼は世情に疎い。
He knows little of the world.
またまた上のlittleはmoneyを飾ってる形容詞で、下のlittleは名詞です。
では、一番最初のnoneはどうでしょうか?
“Are there any people around you?”・ “No, there are none.”
“Are there any friends of yours at the party?” “No, none of my friends are at the party.”
使い方は同じ様子ですが、品詞は上も下も名詞みたいですね。さて、どうしてでしょうか?続きは次回のお楽しみです。

英語学学さんからの質問⑫の4

「部屋の中に本はありましたか?」「いいえ、ありませんでした」
“Were there any books in the room?” “No, there were none there.”
その本の中には欲しいのがありません。
I want none of the books.
さて、2つの例文を比べてみましょう。上の方はnoneが単独で使われています。一方、下はnone of the 名詞sの形で使われているのが分かります。
あ、ちょっと急用ができたので、ここで中断します。