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しばらくお休みします

母親が他界しました。しばらくブログはお休みします。

無意味という意味(2)

『麦本三歩の好きなもの』の「麦本三歩は生クリームが好き」の中にも同じような件(くだり)が出てきます。図書館から借り出した本を紛失した子がいて、弁償しに来たものの「ぼろっぼろの本なくしたら金を払わされてさ、あんな本程度でだりいわ」と開き直る子を三歩の先輩が上手に窘(たしな)めます。そのしゃべり方から三歩はを想像します。
先輩がしているのは、じわりと相手の心に巻き付き耳の穴に侵入し生きたまま相手に自らの内蔵の温度を感じさせるような、そんな喋り方。
この辺の描写は、住野よるが得意とするところです。先輩のこの怒り方に感動した三歩は、自分もできるようになりたいと先輩に教えを請います。すると先輩は三歩を公立図書館に連れて行って、子供たちに読み聞かせをする手伝いをさせます。なぜこんな所に連れてこられたのか意味が分からない三歩は必死で考えて次のような結論に達します。
なるほど、今まで私は子供たちにまで大人を相手にするように接しなければならないと思い、でも思ったような反応をしてくれない子ども達が苦手だった。でも、そうじゃなく、良くないことをしている人たちのことを逆に子ども達とおなじだと捉えることで、寛大な心持ち、より優しく分かりやすい言葉で、きちんと感情を伝えなさいと、それを教えようとしてここに連れてきてくれたんですね?
それに対して先輩は「いや、違います」と鮸膠(にべ)もなく否定してこう言います。
三歩ちゃんそんな難しいこと考えてたの?私そんなこと考えて生きてないよ!
何の役にも立てなかったと言う三歩に対して先輩はさらにこう言います。
ううん、三歩ちゃん役に立ってたよっ。いつもいないお姉さんがいるってことで、皆のテンションが上がってやりやすかったし、それに男の子達が良いところを見せようとして暴れたりしなかった。
つまり、そのときそこにいるだけで良いと言ってます。いちいち意味を考えるな、と言うわけです。住野よる、恐るべし!あ、薮下の風邪は悪化の一途をたどっています。困ったものです。

無意味という意味

コメント欄にたくさんの質問が来てるのですが、今薮下は体調を崩していて学校へ行くのもままなりません。返信は当分先になりそうです。ごめんなさい。
あ、そういえば、コメントの中に「あなたのエッセイはいつも人の悪い点を論(あげつら)っていますが、何か褒めたくなるような気持ちの良いことはないのですか」というのがありました。確かに最近のは、問題集や新聞のミスばかりで胸糞が悪くなりますよね、ごめんなさい。良いことは誰かが気づいてどこかで褒めているので、必要性をあまり感じていないというのもあるのですが、せっかくのリクエストですから、今読んでる本、住野よるの『麦本三歩の好きなもの』について書きます。
ようは気楽な無意味さも大切だと三歩は思う。無意味と大切じゃないは一緒じゃない。そして、無意味は意味の引き立て役でもない。無意味な日常があるから、意味ある日が大切に思える、とかじゃない。無意味な日々も、意味ある瞬間もどっちも大切で、それが一番いいということなんだとのんきに思う。
これ、真理ですよね。僕らは何にでも意味付けをしないと気が済まない生き物です。でも僕らの存在には意味なんてありません。人生に意味付けしてもうまくゆきません。いつも、自分の目の前でいろんな出来事が起きますが、それに一々意味なんてつけなくても良いのです。これは禅や瞑想が説いている極意です。三歩はすごい子です。あ、著者は男の子みたいですがね。

このitは何を指しているの?

10月11日のThe Japan TimesのCraft beer boom spells hope for hops in Iwate townという記事です。ちょっと引用してみます。赤字のitは何を指すのかを考えてみてください。
Hop cones―the unpollinated female flowers harvested in August and September―are known as “the spirit of beer” and added in the manufacturing process. They not only create the distinctive bitterness and aroma, but also sterilize it stabilize the head and improve preservability.
この記事は署名記事で、KEITA NAKAMURAさんが書いた記事のようです。内容は面白いのですが、itが何を指しているのか不明です。どなたかおわかりの方がいたら是非教えてください。

「Basic」って何?(5)

「システム英語長文」がおかしいという話をしています。前回は2 Schools in the United Statesの第2段落の「学科の科目」という訳語が変だというお話でした。今回は第4段落の最終文の「, which」を考えてみましょう。
Americans believe that if children are taught to reason well and to research well, they will be able to find whatever facts they need throughout the rest of their lives.  Knowing how to solve problems is considered more important than the accumulation of facts, which often grow obsolete.
もし子供たちがしっかりと考えて調査することを教えられれば、残りの人生においてずっと、必要とするどんな事実でも知ることができるだろうと、アメリカ人は信じている。事実はしばしば古くなるものであり、事実を蓄積することよりも、問題の解決方法を知ることの方がより重要だと考えられている。
普通の関係代名詞は直前の名詞(先行詞)を限定的に飾ります。関係代名詞の後ろに続く不完全文の働きは、直前の名詞を飾る形容詞としての役割に限定されます。だから、普通の関係代名詞を「制限用法」とか「限定用法」と呼びます。そして、コンマのない普通の関係代名詞はそれが導く飾りから先に訳します。こんな具合です。
⊿彼には医者をやってる3人の息子がいる。
He has three sons who are doctors.
でも、関係代名詞の直前にコンマが付くと文が一度そこで区切れてしまうので、直前の名詞だけを飾るという限定が解除されます。あ、「, which」の先行詞が直前の名詞だけに限定されなくなるのもそのせいです。だから彼には息子が全部で3人しかいないことが確定します。先ず、非制限用法の場合はコンマの所で文を区切ります。次に、後ろの文と接続詞で結んでやります。そして、先行詞を代名詞化してやって後ろの文を続けます。こんな具合です。
⊿彼には息子が3人いる。そして彼らは医者をやっている。
He has three sons, who are doctors.
=He has three sons, and they are doctors.
関係代名詞の前にコンマが付くと限定は解除され、形容詞としての用法に制限されなくなるので、この用法を「限定用法」とか「制限用法」と呼びます。あるいは、接続詞を挟んで2つの文が流れるように続くので「継続用法」とも呼びます。
論理を展開させるには、and(並列・付加)だけでなくbecause(順接・因果)やbut(逆接)も必要になります。こんな具合です。
⊿僕はこのギターが気に入っている。なぜなら音色がとても良いからだ。
I like this guitar, which has a very good sound.
=I like this guitar, because it has a very good sound.
⊿彼には3人の息子がいた。しかし、息子たちは家業を継がなかった。
He had three sons, who didn’t take over his business.
He had three sons, but they didn’t take over his business.
国立大学2次試験の下線部訳にこの「非制限用法」の関係代名詞が出てきたら、
①「文を区切る」
②「and, but, becauseの接続詞でつなぐ」
③「先行詞を代名詞化したものから次の文を始める」
の3つをやっていないと減点されます。非制限用法がちゃんと理解できていることが採点官に伝わらないからです。
そのことを考えて「システム英語構文」の和訳を見てみましょう。
【赤本の訳語】
事実はしばしば古くなるものであり、事実を蓄積することよりも、問題の解決方法を知ることの方がより重要だと考えられている。
【薮下の正解例】
事実を覚えることよりも、問題の解決方法が分かることの方が大切だとアメリカ人は考えています。なぜなら、事実が時代遅れになってしまうのはよくあることからです
薮下が採点官なら、残念ながらこの答案に満点はあげられません。それに、「事実を蓄積する」って意味が分かりません。さらに言うと、子供たちが学校で教わるのは「しっかりと考えて調査すること」ではなくて「物事を正しく判断し探求すること」です。一体何をしっかりと考えるのでしょうか?専門家の調査・研究の方法なんて教わりますか?さらに、老人ではなくて子供たちに対して言うのなら「残りの人生」じゃなくて「これからの人生」でしょう。自分で正しく和訳できない英文をBasicに分類してはいけません!

「Basic」って何?(4)

「システム英語長文」がおかしいという話をしています。前回は2 Schools in the United Statesの第1段落の訳語が変だという話をしました。今回は「学科の科目」という訳語を考えてみましょう。これは第2段落に出てきます。こんな具合です。
Schools are expected to meet the needs of every child, regardless of ability, and also the needs of society itself.  This means that tax-supported public schools offer more than academic subjects.  It surprises many people when they come here to find high schools offering such courses as typing, sewing, radio repair, computer programming, or driver training, along with traditional academic subjects, such as mathematics, history, and languages.
能力に関係なく、あらゆる子供たちの必要性と、社会自体の必要性も満たすよう、学校は期待されている。これはつまり税金によって支えられている公立学校が学科の科目以上のものを提供することを意味する。多くの人たちは、この国に来て、数学や歴史や語学のような伝統的な学科の科目に加え、タイピングや裁縫やラジオの修理やコンピュータプログラミングや運転訓練のような講座も高校が提供しているのを知って驚く。
日本語で「学科の科目」という場合、大学で履修できる科目を紹介するときに「履修選択ができる電子工学科の科目は以下の通りです」などと使います。言い換えると、特定学科の履修科目を指して使います。ところで、academic subjectsという場合、はやり大学の履修科目の中で「一般教養科目(general academic subjects)」などと使います。決して「一般学科の科目」とは言いません。あるいは、高校までの教育課程で体育や音楽などの「実技科目(practical training subjects)」に対して数学や歴史などを「教科科目(academic subjects)」と言います(「教科・科目」の様に中黒を入れる場合もあります)。決して「学科の科目」とは言いません。https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/suishin/meeting/wg/toushi/20170405/170405toushi11.pdf
そもそも学校の授業を分類するときに、例えば国語は大分類の「教科」、古典や漢文は小分類の「科目」に属します。「教科」や「科目」を全部ひっくりめて「学科」とも呼びます。だから、「好きな学科はなんですか?」と面接で訊かれると、「国語です」と答えても「漢文です」と答えてもOKなわけです。逆に言うと、科目は学科と同義なわけですから、「学科の科目」というのは「馬から落ちて落馬した」と同じくらい変なわけです。
学科の科目」という日本語を何の違和感もなく使えるのが僕には不思議で仕方がありません。

リアル教室のごあんない

「Basic」って何?(3)

「システム英語長文」がおかしいという話をしています。前回は訳語が変だという話をしました。今回は2 Schools in the United Statesの第1段落の和訳を見てみましょう。
Education has been called America’s religion.  One-half of all the people in the country between the ages of eighteen and twenty-five are enrolled in either a college or university; all boys and girls up to age sixteen are required to go to school.  Education is an enormous (and expensive) part of American life.  Its size is matched by its variety.  The widely different educational systems and possibilities are as difficult for outsiders to understand as anything about American life.
教育はアメリカの宗教だと言われてきた。18から25歳の全国民の半数が単科大学か総合大学に在籍している。16歳までのすべての少年少女は学校に通わなければならない。教育はアメリカの生活の大きな(そして費用のかかる)部分である。その規模に応じて多様でもある。その多様な教育制度と可能性は、アメリカの生活の中でも他の何にも劣らず外部の人間が理解しにくいことである。
まずこの和訳には主語がありません。これでは規模に応じて何が多様なのか分かりません。そして、テーマが代名詞化しますから、「その規模」というのは「教育規模」のことだと思われます。でも次のits varietyも「その多様性=教育の多様性」のはずなのにitsの訳語が脱落しているのはどうしてでしょうか?訳語が揺らぎすぎています。
概して日本語で「教育規模」という言葉は大学の数を問題にしている文脈で出てきます。日本は大学を作りすぎてしまい、ほとんどが定員割れを起こしてます。このままでは国立大学も倒産すると言われています。でも、この英文はアメリカの教育がテーマですから、its sizeは「大学の数」とか「学校の数」の意味ではないはずです。そんな詳細で瑣末なテーマを論じているはずがありませんからね。
このits sizeというのは「規模」ではなくて「重要性」の意味でしょう。matchは「一致させる」とか「釣り合わせる」の意味の「させる系の他動詞」です。だから「A is matched by B」の受け身になっても受け身の訳は付かず、「AはBと一致する」とか「AはBと釣り合っている」の能動態の訳語を付けます。すると、「教育の重要性は教育の多様性に一致する」、「教育の重要性は教育の多様性と釣り合う」が原義だと分かります。要は、「アメリカで色んな教育が提供されているのを見れば、教育がいかに重要かが分かる」と言いたいわけです。こう訳すと、次のThe widely different educational systems and possibilitiesともつながります。あ、このtheは周知のtheですから「我々アメリカ人なら皆が知っている」くらいの意味です。itsやtheを何でも「その」と訳すのは止めましょう。
こう考えてきても分かるように、この英文はあまり具体的ではありません。「教育の重要性」とは言わず「教育の規模」と言うわけですからとても比喩的です。これを「Basic」に分類するのはどうかと思います。

「Basic」って何?(2)

「システム英語長文」がおかしいという話をしています。前回は、2Schools in the United Statesの英文の難度が高いにもかかわらずBasicに分類されているのが変だという話でした。今回は、訳語が変だという話です。全般的に変なのですが、先ずは第2段落の最終文の和訳を見てみましょう。
The underlying goal of American education is to develop every child to the utmost of his or her own abilities, however great or small they may be, and to give each one a sense of civic and community consciousness.
アメリカの教育の基礎となる目標は、すべての子供の能力がどれほど高くても、あるいはどれほど低くても、その能力を最大限まで伸ばすことと、それぞれに市民と地域社会の自覚を持たせることである。
「市民意識=civic consciousness」はcitizen awarenessともcivil consciousnessとも表現できます。ま、「市民の自覚」でもいいでしょう。でも、次のcommunity consciousnessは「連帯感」とか「一体感」です。これを「地域社会の自覚」とやってしまうと全くの誤訳です。それは次の段落を読めば分かります。
Because there is no national religion and because there are so many different backgrounds and origins among the people, schools have traditionally played an important role in creating national unity and “Americanizing” the millions of immigrants who have poured into this country.  Schools still play a large role in the community, especially in small towns.
信奉する宗教は様々なので、また経歴や出自も様々なので、国民の結束を固め、この国に押し寄せてきた多くの移民たちを「アメリカ化」するという点で、教育は昔から重要な役割を果たしてきた。学校は地域社会、特に小さな町では今でもなお大きな役割を果たしている(この和訳は僕がやりました)
ここで言う「地域社会」というのは、移民たちが同じ民族で固まって作る同質化した社会のことを言ってます。教育の根本的な目標は、そんな民族色の強い地域社会をアメリカ化して、アメリカ人としての一体感を深めることだと言ってます。だから、community consciousnessを「地域社会の自覚」と訳しては全然ダメです!ちゃんと「アメリカ人としての一体感」と和訳しないといけません。
まさかとは思うのですが、この変な訳語を見ているとa sense of civic and community consciousnessがa sense of civic consciousness and a sense of community consciousnessの共通項を省略して出来上がっている共通構文だということが分かってないのでしょうかね?

「Basic」って何?(1)

世に出回っている問題集はレベルに応じて分冊化され、シリーズになってるものが多いですよね。よく見るのが「Basic」、「Standard」、「Advance」の3分冊。でも、大体の問題集がレベル分けに失敗しています。特に、基礎レベルと銘打ったものはどれもダメですね。
学校で「システム英単語」を使っているので、その姉妹本の「システム英語長文」というのを業者が1セット見本として持ってきました。その中の「Basic」をパラパラと眺めていて、これはダメだと思いました。
先ず、「Basic」に分類されてる基準が英文ではなくて出題大学になってます。ま、これは駿台文庫に限らず他の出版社もそうなのですがね。結構な難易度の英文も「Basic」に分類されています。偏差値が低い大学が出題しているので、設問のレベルは確かに「Basic」です。でも、英文はメチャ難しい。「Basic」を選ぶ子は、設問の難易度ではなくて英文の難易度が低いことを期待しています。ですから、こんな本を使っても英語ができるようにはなりません。
例えば、「システム英語長文1Basic 2Schools in the United States」の第4段落冒頭文です。こんな具合です。
The American approach to teaching may seem unfamiliar to many, not only because it is informal, but also because there is less emphasis on learning fact than is true in the systems of many other countries.
比較の文では2つ(1対1、1対多、多対1、多対多も結局2分割法)が対比・対照されるわけですから、当然2度目の省略が起こります。上の英文のthan以下に何が省略されているか分かりますか?
~there is less emphasis on learning fact than [the emphasis on learning facts that] is true in the systems of many other countries.
than直前の名詞が先行詞ですから、the emphasis on learning facts が省略されていることは想像がつきます。でも、どうやってisとつながるのかが分からないはずです。実は関係代名詞that省略されています。つまり、疑似関係代名詞のthanと普通の関係代名詞のthatがダブルで使われているわけです。この英文を説明できる先生はいるのでしょうかね?
「システム英語構文」は構文の問題集ですから、語句や表現だけでなく構文に関しても詳細な説明がついています。なのに、なぜここで使ってる比較構文の説明が一切ないのでしょうか?不思議で仕方がありません。
和訳も間違っています。これについては次回のお楽しみです。

日本の劣化④ もう民間業者に全部任せては?

前回は赤本の解答が間違っている話をしました。今回は国立大学の推薦入試の英語が間違っている話をします。平成31年度、香川大学ナーシング・プロフェッショナル育成入試の小論文Ⅰの第1段落です。ちょっと長くなりますが引用しておきます。
If you ask who are the leaders in nursing education, most will name those who hold an appointed or elected leadership position, such as a department chair, or an officer in student government or professional association. Instead, I focus here on the opportunity for nurse educators to give in every student not only the knowledge and skill to be a competent practitioner*, but also the qualities and commitment to be an “everyday leader.”
あ、これは英語のミスではないのですが、competent practitionerに「有能な実践家」という注が付いています。最近では研究者の考えるリーダーシップと実践家の考えるリーダーシップを区別して論じるのが流行(はやり)で、「リーダーシップ実践家」と言うと「実際に優れたリーダーシップを実地で発揮している人」の意味で使われます。でも、一般に言う「実践家」は「研究者」と対比して使い、机上の空論を弄ぶのではなく「その道でプロとして活躍する人」くらいの意味で使います。ですから、practitionerに「有能な実践家」と言う注をつけると、「リーダーシップ実践家」のことを言っているように聞こえます。そのことを頭に入れておいてください。
さて、問題文にあるミスの話をしましょう。giveは第3文型でも第4文型でも使えます。こんな具合です。
彼は私に本をくれた。
He gave a book to me.(第3文型)
He gave me a book.(第4文型)
問題文では「ことシリーズ」for me to goの形を使ってfor nurse educators to give~となっていますね。そこで、問題文をI goという普通の文に書き換えるとこうなります。
看護教育に携わる者は、子供たち一人一人に、有能な看護師になるための知識や技術だけでなく、everyday leaderになるための資質や責任についても教えます。
Nurse educators give to every student not only the knowledge and skill to be a competent practitioner, but also the qualities and commitment to be an “everyday leader.”
普通なら 「give 何を+to誰に」になることろですが、問題文は「何を」が長いので後ろに回って「give to誰に+何を」になってます。英語は長いものは後ろに回せ!でしたね。でも、明らかにinではなくてtoでないといけません。
さて、ここで対置されているnot only A but also BのAとBに注目しましょう。看護学校の先生が教えるのはAだけでなくBだ!と言ってます。つまり、有能な看護師になるための知識や技術だけでなく、日々の看護の仕事をやるなかでリーダーとなるための資質や責任も教えなさい!と言ってるわけです。
では、最初のpractitionerに戻りましょう。これまでの文脈からこれを「有能な実践家」とするのは誤訳だということが分かります。ここはちゃんと「有能な看護師」と訳さないといけません。
香川大の作問委員の先生たちは英語を知らないし、書いてある英語も読めていないですね。9月3日付けの朝日新聞に、私立大が一般入試を民間業者に委託する話が載ってます。国立大も香川大のように間違った問題しか作れないのなら、共通テストだけでなく2次試験の問題も業者委託する方が良いと思います。

リアル教室のごあんない