クリスマス礼拝 説教 

  

  2010.12.16(木)

  「ゆるしの主、飼い葉おけのキリスト」

  在日大韓基督教会 名古屋教会 金性済(キムソンジュ)牧師

  

  金牧師の、1989年から6年間、カリフォルニアで聖書研究をされていた時期の体験をお話いただきました。

  牧師は、韓国人教会での説教とともに、在米日本人・日系人教会での説教もされていらっしゃいました。

  ある日、日系人教会で、一人の年配の男性と出会われました。彼は韓国人でナングン・テモテという名前の男性でした。

  彼は牧師に「私を助けてほしい。私はナパバレーというところで、日本人女性を集めて礼拝を持っていたが、牧師がいなくなってしまった。先生(金牧師)になんとか礼拝にきていただけないだろうか」と助けを求めていらっしゃったそうです。

  牧師はそれから数回、ナパバレーの礼拝へ訪れるようになりました。ある時、牧師はナングン・テモテ氏に、

  「あなたは牧師でもなく、日本人でもないのに、なぜ日本人女性の為に、お金まで出してこのようなことをしていらっしゃるのですか?」

  と尋ねられました。

  ナングン・テモテ氏は、この礼拝に集まる女性は、戦後横須賀などの基地でアメリカ人と知り合い結婚して、渡米してきた方々で、彼女たちは子育ても終え、年老いてきて、日本を懐かしみ、日本に帰りたくてもなかなか帰ることができない人たちであることと、彼がこのような活動をしている理由を牧師に語りました。

  ナングン・テモテ氏は韓国生まれ。彼の父はナングン・ヒョクという、ピョンヤン神学校の教授であったということでした(朝鮮半島の神学はピョンヤン神学校が発祥で、ナングン・ヒョク氏はギリシア語の聖書をハングル訳するなど、非常に高名な聖書学者であったそうです)。1950年から始まった朝鮮戦争の際、ナングン・ヒョク氏は、自分の家族を南へ逃がし、ご自身は大学へとどまったそうです。

  ナングン・テモテ氏は家族と共に韓国から日本に移り住みました。父親の消息は何年か後に知ったそうです。ナングン・ヒョク氏はピョンヤン神学校が共産党軍に包囲された際に命を落とされたということでした。

  ナングン・テモテ氏(以下氏)は、神の為に働いていた父がなぜこのような目に合わなくてはならないのかと、激しい怒りと悲しみから、神に対する不信、疑問を抱き、やがて信仰生活から離れていったそうです。

  氏は日本で結婚、息子さんを授かりましが、氏はつらい思い出の場所から遠く離れるために、家族で渡米をされました。

  しかし、アメリカでも悲劇が氏をおそいます。息子さんがバイク事故で亡くなってしまったのです。氏の悲しみはいかばかりだったでしょうか。

  

  ある日、ご自分の荷物の整理をしていると、荷物の中から小さな古い英語の聖書が出てきました。中には万年筆でびっしりと書き込みがしてあります。記憶をたどっていくと、この聖書は、氏を南へ逃がすときに、父が氏に託したものであることを思い出したのでした。

 

  氏はその時、聖書によって救われ、涙と共に理解したそうです。

  どんな気持ちでこの聖書を自分に託したのだろうかということを。

  自分は神を恨み、神から逃げて逃げて結局息子も失ってしまった。罪深き生き方だったことを。

  聖書(神)をおろそかにしてしまったことに対して反省した氏は、父の遺志を継ぎ今の活動をしているとのことでした。

  

  牧師は、氏の話を聞き、英訳の古い聖書は十字架のイエス、飼い葉おけのキリストを象徴していると感じたそうです。

  それは、人生にはつらいこと、悲しいこと、苦しいことがあります。

  しかし、神は常に共にいて下さり、慰めてくれる存在であること、人間は、つらいこと、悲しいこと、苦しいことで、人を憎んだり、自分を責めたり、人生を投げ出してしまったりすることもあるが、神様はそこから人を救い出してくれる存在であるということです。

  

  クリスマスは、そんな神様の姿を思い出し、慰め、救い、励ましてくれることを感じ、つらさ、悲しさ、苦しさのむこうに、新しい人生の指針や目標を考えるきっかけの時でもあるのです。

  

  

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