卒業式から約1ヶ月が経過しました。
その間,国公立大学中期後期試験,私立大学の後期入試の試験,発表があり,悲喜こもごもがありました。
大学進学を実現した諸君も,残念ながらもう1年大学進学を目指すものも,自分の弱さを受け入れ,努力の結果を受け入れ,次のステージでも,目の前のことを後回しにせず,頑張ってほしいと思います。
さて,名高を卒業した君達へ,鬚が思うことを書きたいと思います。
君達の多くが,社会的にも評価の高い大学へ,また,自分が望む研究ができる大学へ進学した,あるいはこれからすることでしょう。次世代の社会を担う君たちは,どのような大人になっていくのでしょうか。人が見ていない所でも,人の為に頑張ることができる人間になっているのでしょうか。それとも,そのような大学へ行くのは,自分の利益の為だけで,人のことは関係ないという考えで君たちは進学をするのでしょうか。
以前にも書きましたが,私は「教育の受益者は社会」であると思っています。決して個人ではない。高い収入,社会的なステータスなどを得るために,いい暮らしをするために努力する。もちろんそうだと思います。自分の夢を実現したい!当たり前です。私だってお金なんかいらない!とはとても思いません。なんだったら君達が素晴らしい進学実績を残せば,自分たちの学年の力だ!と若干天狗になることもあるかもしれません。ただ、私が言いたいのは,そのことの是非ではありません。一生懸命学び,結果的に得た高い教養,収入,社会的なステータスを,君たちは何のために使うのかということです。考え方の問題を今しているのです。
スポーツに例えます。例えばラグビーで,レギュラーになるために一生懸命練習します。人が遊んでいるときにも我慢して,ただひたすらタックルを,パスを練習し,自分の時間をラグビーに捧げます。結果,チームの中心選手となります。当然そうなれば他のチームから徹底的にマークされるような選手になります。反則まがいのプレーで徹底的に削られます。人よりも優れた能力を持った選手ならば宿命的なことでしょう。彼らにはそういう責任がついて回ります。また,その責任はグラウンドの外での行動にもついて回ります。厳しい状況になったときに,考え方が自分だけに向いている選手は,つまり,「人より能力や技術の高いことは自分の為で,自分が良ければいいという考え方」の選手は,そこで相手に怒り,レフリーに怒り,自分が思うようにプレーできないことを味方のせいにするかもしれません。ただそれは筋違いだと私は思います。もしそれが嫌ならば,練習なんかしなくてもいい。注目される選手になどならなければいいと思います。何のために努力を重ねてきたのですか?自分がちやほやされる為ですか?努力をする理由は何だったのですか?と思います。努力を重ねて力を得た時点で,そんなことは分っているべきで,そういう責任を負うことは努力をして力を得ることとセットのはずです。私は、そんな厳しい状況下でも,自分の責任を全うする選手であってほしいと思います。努力の結果得た力をチームの為に惜しみなく使う。チームの勝利の為に自分を鍛えることができる選手こそが,チームメイトや応援してくれる人々から尊敬され,称賛され,愛される選手といえます。
京セラ創業者で現在日本航空会長である稲盛和夫氏はこんなことを言っています。「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」である。能力とは、才能や知能といった先天的な資質を表し,熱意とは、情熱や努力する心といった後天的な努力を表す。考え方とは,哲学や思想,倫理観といった生きる姿勢,それらすべてを包含した人格を表す。最も大事なものが考え方であり,能力と熱意は0~100点までの点数があるのに対し,考え方は-100点から100点までが存在する
なるほど上手いことを言うなと思いました。持って生まれた資質,努力がプラスでも,考え方=人格がマイナスであれば,全部がマイナスになってしまいます。それどころか,資質や努力が大きければ大きいほど,考え方がマイナスであれば,大きなマイナスが生まれてしまうわけです。
私は,君達にもう一度考えてもらいたいのです。
「教育の受益者は社会であると私は思います。君達が進路実現のために必死になって勉強していること、様々な場面で、失敗と挫折を恐れず「雄々しく強く」挑戦し続けていくことで最大限に鍛え上げた能力と、磨きあげた人間性は、自分の利益の為でなく、友の為に、チームの為に、そして社会の為に惜しみなく発揮されるべきものです。そのような観点を持った人であってほしい、そのように成長して、この学校を巣立って行ってほしいと強く思います。「奉仕の為の練達」”Mastery for service”こそが、君達が目指すべき「精神の紳士」であり、「名高生であるということ」の価値であると信じます。
自分の進路実現の為に「自発的に」行う努力は、今困難の中にある方々に対して、「今君たちができること」の一つであると思います。10年後の日本を、世界を支えていくのは、「名高生であること」の価値を体現する君達なのです。私はそのことを信じ、この1年を君達と共に歩んでいきたいと思います。
「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」(マルコによる福音書9:35)」(2014年度第1号学年通信の鬚の文章です)
君たちは高い資質を持ち,努力をすることができる人であると信じます。
しかし,もし名古屋高校が「社会的に評価の高い大学に沢山の人間が合格する学校」だけの学校だとしたら、私にはそれが価値あることとはとても思えないのです。大学進学の数だけで評価をされるのであるならば,そんなものは糞くらえだとさえ思います。大学進学実績は本校にとっても重要な事柄ですが,そこには「名高生であることの価値を体現した人間を育てる」という前提で語られなければならないと思います。
ゴミが落ちていたら拾う、困っている人がいたら助ける、助けるだけの力を得るために努力する。
今このタイミングではあまりピンと来ないかもしれませんし、そんなこといったって… と思う人も多いと思います。
しかし、今だからこそ、学校を巣立っていった君たちにこそこの話をしておきたかったのです。なぜならば,名高生であることの価値を体現するのは,ついこの間まで、この学校で一番長い時間を過ごした最上級生であった君達のはずだからです。
願わくば,君達がこの学校で過ごした時間をもう一度思い出して,この先のステージで,在校生たちに名高生としての価値を体現している姿をできるだけ見せてほしいな と思います。
では,最後に
どんな場面でも,
男らしく強く
勝負強く
選択に迷ったら,しんどい方を選び
困っている人がいたら助けてあげる
自分の鍛え上げた力を,人の為に使える
名高生の価値を体現する人になってください!!
この6年間3年間の全ての事に感謝します
本当にありがとう!!
君達を誇りに思います
鬚
Comments are closed.